AIブームの中身

現在、日本では本格的にAIブームである。ただし、過去の80年代のブームとは異なり実際の内容的にはAIを利用するところまで行き着いていない。また、AIの研究についても過去のブームというにはほど遠い状況である。

では、どういうブームなのかというと、簡単に言うと「AIが普及することについて考えてみましょう」ブームである。この中には「AIが普及した世の中を考えましょう」や「AIはどうあるべきか」、「AIの脅威について考えてみましょう」、「AIに仕事を奪われるのでは?」というものも含まれる。ちょっと情報のアンテナを高くしていると驚くほどたくさんの、AIに関する内容を含む講演会やセミナー、シンポジウムが日々行われていることがわかる。

別に検討、議論することは悪いことではないが、Google翻訳などの一部のサービスでしか具体的に普及しているAIがない状況で、かつ、日本がAI開発で大きく遅れている状況にも関わらず、日本でAIはどうあるべきかとかAIの脅威について考えても、何ら影響を与えることもできず机上の空論に終わるのではないかという違和感を感じざる得ない。

しかも内容が、だから日本もAI研究促進しましょう、なら理解できるが、だからAI反対やAIなんてできっこない、というのは「技術革新競争から降りましょう」ということではないかと考える。

以前、知り合いのデータサイエンティストのエバンジェリストが言っていたが、「今はAIがどうとか四の五の言っているときではなくとっと研究開発をやらなければいけない時期に来ている」、ということである。

80年代は日本経済の最盛期であったこともあり、企業の研究開発費用もふんだんにあり、かつ、技術革新の元に数多くの研究者も抱えていたため、いち早く製品化もでき、研究も促進された。現在のディープラーニングの基盤になっているAutoEncoderアルゴリズムは1979年にNHK放送科学基礎研究所の研究者であった福島邦彦博士が開発したネオコグニトロンが元になっていることはあまりにも有名である。

今、議論を活発化させる必要があるのは、「AIが普及することについて考えてみましょう」ではなく「AIを普及させるために必要な研究をどう支援し、どうやってAI研究者を増やすか」だと思う。

 

日本のAIは周回遅れ…杉山将・東京大教授に聞くhttp://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20170210-OYT8T50014.html

世界と同じ土俵に立てない? 1年遅れの日本のAI開発

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49271