インターネットとの対比で考えるAIの社会へのインパクト

 AIのビジネス分野への導入が、ChatGPTをはじめとするLLMや生成AIの普及によって加速しています。この進展は社会に非常に大きなインパクトを与えると考えられます。類似の変革として挙げられるのは、インターネットの普及です。最初は情報機器の連携手段としてしか考えられていなかったネットワークが、インターネット周辺の技術革新によって個人のコミュニケーションを始めとした社会生活のインタフェースとして認知され、利用されるようになり、人々の生活は大きく変化しました。また、インターネットの利用により社会構造やビジネス環境も大きく変わり、GAFAMを代表とする世界的なビッグテック企業が多数登場しました。

 一方、日本では世界初の携帯電話からのインターネット接続サービスであるi-modeを開始していたにもかかわらず、既存の業務フローやビジネス環境へのこだわりから、インターネットの利用はコミュニケーションのみに限定され、高効率化や高収益化をもたらすビジネスモデルへの移行は、米国や中国と比べて遅れていると言えます。私は、同じ轍を踏まないためにも、ChatGPTをはじめとするLLMや生成AIのビジネス分野への普及をためらうことなく進めるべきだと考えています。

 インターネットは単なるネットワークに過ぎませんでしたが、それがここまで便利なものとして認識されるようになったのは、Web/ブラウザ技術のおかげです。Web/ブラウザ技術によって、人々は簡単にデータにアクセスできるようになり、さまざまな情報の発信や受信が可能になりました。

 AIにおいて、このWeb/ブラウザ技術に対応するのがChatGPTなどのLLMです。LLMの普及により、人々はプログラムコードではなく言葉で直接AIとコミュニケーションできるようになってきています。また、LLMはシステムやコンピュータに命令するプログラムコードを生成することもできますので、LLMを利用することで人々は言葉でシステムやコンピュータとコミュニケーションすることができるようになっています。この流れは今後ますます急速に加速すると予想されます。

 もう少し細かく考察すると、インターネットの発展も2つの段階にわかれます。その境目を表現するバズワードは、2004年に提唱された”Web2.0”だと思います。Web2.0以前はインターネットの主な利用方法は、検索とメールでした。検索対象となるサイトの所有者は企業またはWeb技術やネットワーク技術を理解できる一部の個人のみであり、普通の個人がインターネットを利用して情報を発信することはほぼなく、いわゆる掲示板(BBS)に書き込みする程度でした。それに比べWeb2.0以降はブログでの個人の情報発信が始まり、TwitterやFacebookなどのSNSによる情報発信、情報拡散が可能となりました。その背景としては、クラウドの登場やWebフレームワークの進化、Web-APIやAjaxの普及など現在の利用されている技術の登場などがあると考えます。ビジネス環境もそれまでは一部の企業でしか提供できなかったECビジネスが急速に拡大し、現在にいたっています。特に2010年代に入ると”ビッグデータ”というバズワードが出現し、ビジネスにおけるデータ収集・活用の重要性が提唱され、それにより大量のデータ収集・活用され現在のビッグテックの発展やAI技術の発展に寄与しています。

 繰り返しになりますが、この間に日本の大部分の企業ではインターネットの活用は、コミュニケーションのためのメールや、情報収集のための検索活用に限定されており、その他のネットワーク利用は社内用インターネット(イントラネット)によるワークフローの電子化が大部分でした。ゆえに、データ活用に向けた収集もそれらの技術開発も遅滞した。この間も国、企業で技術開発に対する投資は行われていたが、対象はすでに大部分のシェアをGoogleが持っていた検索エンジンや、規模的にAWSと比較にならないクラウドサービスを立ち上げるため、いわゆるキャッチアップのために行われていました。1960年〜1980年代のようなまだグローバル化していない時代であれば米国の技術をキャッチアップし、より安価なサービスを構築することでビジネスを立ち上げることは可能でした。しかし、現代のようなインターネットで世界とつながる時代においては国内ユーザ限定と言えどもシェアを取り返すことは容易ではなく、ビジネス的な成功には結びつきませんでした。

 AI普及時代においてこれらの反省を活かすためには、すでに遅れているAIの基礎技術やLLM構築の投資をするのではなく、AIを利用することで他の先進国に対し劣っているとされる生産性の向上や、間近に迫っている生産労働人口の急減に備えるという方向に国や企業の投資をシフトするべきと考えます。現在計画されている、国産LLMに対する数十億円の国の投資額はGAFAMの投資額に比較して2桁も少なく、日本だけでしか使えないLLMは構築かもしれませんがそれ自体のビジネスの成功は日本の市場規模的に難しいと考えます。それよりもAI/LLMをビジネスインフラと捉え、それらを用いたグローバル向けビジネス立ち上げへの投資にシフトするべきと考えます。

2018年は真の「AI元年」になるか?

新しい年2018年を迎えた。

昨年2017年は、2016年から本格的に始まったAIブームが続き、ベンチャーだけでなく、大企業でもAI研究やAIベンチャーへの投資、買収の取り組みが始まり、遅れていた日本でもようやくAIビジネスが立ち上がる様子を見せた年であった。

研究の面では、日本は一周遅れ(実際は更に遅れが広がりつつあると思う)と言われているが、AIビジネスの面ではどうであろうか。

以前以下にも記述したように、ゼロ金利によるビジネス構造の変化や少子高齢化に伴う労働人口減少を補う形で銀行・保険業界では効率化を目的にAIを導入開始つつある。AIがどこまで使えるのかという話は別の機会に書くとして、AIが普及するということについて考えたい。

私は個人的には、AIの普及は、インターネットの普及以来の大変革を起こすと考えている。技術面でのインターネットの普及とのアナロジーでは、以下の通りと考えるが、普及のキーポイントは、キラーコンテンツ(キラーサービス)の登場だと考える。また、インターネットとの違いは、インターネット自体は我々の前に登場した時点ではそれを支えるネットワーク技術は大方完成しており、普及への技術課題は通信速度であったのに対し、AIはまだまだ研究途上であり進化の可能性が見込まれているに過ぎない技術であり、普及に際してはその精度向上が期待されるという点がある。

<インターネット>            <AI>

wwwの発明      → 深層学習の発明

様々なブラウザ普及     → CNN、RNNなどの普及

Webサーバ技術の普及 → Tensorflow,Chainerなどフレームワークの普及

キラーコンテンツ    → ??

 

しかし、i-modeや写メール、Amazon、Googleのように一旦キラーコンテンツ(サービス)が出てきて、一般に普及が始まると加速度的に普及し我々の生活をあっという間に変革してしまうのではないかと考える。

上にあげたサービスの内、最初の2つは主に日本ローカルの携帯電話+キャリアビジネスというハードに依存したビジネスであり、後者の2つは完全にアプリケーションだけによるサービスであるが、グローバルの広がりという意味では、いわずもがな後者が圧倒している。私もAIも同様の傾向があるのではないかと考えている、直近では、AI技術が普及する可能性があるキラーサービスとしては自律運転自動車とAIスピーカーが挙げられるが、これらはいずれもハードウェアに依存するコンテンツであり、それぞれのシステムの要件に依存するため、よほどの差別化ポイントがないかぎり乗り換えが難しく、いきなり席巻とまではいかないのではないかと考える。

個人的な希望としては、ウェアラブルデバイスと相性が良い、パーソナルヘルスケアに関するキラーサービスで世の中に普及して欲しいと考える。ウェアブルデバイスで計測したデータを専門家が学習・解析・分析し、デバイス単体で動作するAIアルゴリズムを開発しデバイスに配信することでデバイスローカルで個人の健康状態を判断することができるようになれば、リアルタイムで個人を特定することなく健康状態が判断できるため予防医学を幅広く実施可能となるとともに、深刻な状況の発生を予見できるようになるのではないかと期待する。

国内のベンチャー的には、インターネットの黎明期にはHP作成やCGI作成の費用がページ単価数十万円したり、簡単なメルマガサービスを立ち上げるベンチャーが株式上場をしたなどのように、現時点のAIベンチャーにおいても、ビジネスの成長期にあると考えられる。ただし、5年後にそのビジネスのバリューが上がるかどうかが長期の成長の鍵であり、そのためにもキラーサービスをいち早く開発したベンチャーが生き残るのではないかと考える。

 

ついに始まったAIとの競争

AI競争 揺らぐか「IT大手優位」 
カギ握る3つの問題

機械学習とプラットフォームビジネスについて

近年では、GoogleやMicrosoftのようなITジャイアントと呼ばれる企業が、学習済みモデルによる音声認識、音声合成、翻訳、顔識別や画像識別などの認識機能をクラウドAPIで提供するグローバルサービス提供している。

音声認識、音声合成、翻訳のように、言語別に特徴が異なり汎用的であればあるほど精度が向上する情報はグローバルサービスに適しているが、画像識別については汎化が難しく産業界でのビジネスでの利用はまだ難しいと思われる。

一方、最近、弊社をはじめ数社が個別に、よりビジネスに適した種別の情報の学習済みモデルを提供するプラットフォームサービスを開始している、こちらのプラットフォームサービスは前者のクラウドサービスと比較して、転移学習などの技術により、基礎となる学習モデルに追加学習を実施することで、ユーザそれぞれのニーズに合わせた特化をしやすく、ビジネスユースに適していると考える。

今後、産業界でAIが活用され、少子高齢社会にて効率化が推進されるには、このようなプラットフォームサービスが発展するのが最適であると考える。

【Wired記事より】AIの進化を前に、日本企業は「働き方」を問うているだけでは未来はつくれない

2017/8/7のWIREDのWeb版に掲題の記事が掲載されました。今後のAIの開発・導入とそのような社会の構築に対し、非常に重要な点を指摘していると考えますので要点を抜粋し以下に示します。。

https://wired.jp/2017/08/07/cic-future-of-work/

冒頭のコメントより

「5〜10年以内に全ての業界において株価は崩壊し、経営陣は刷新される──。日本を代表する企業の首脳たちが集まった円卓で、カーネギーメロン大学教授ヴィヴェク・ワファが伝えた言葉は、いまぼくらが直面する「人工知能」との共生について、大きな示唆を与えてくれるものだ。3つのポイントから読み解く。」

1.AIは日本型雇用システムにいかなるインパクトを与えるか

ワファが指摘するのは、産業構造のディスラプションとテクノロジーによるリスクが、かくも十分に考慮されていない現状だ。

「AIによってもたらされる問題をとらえるとき、失業は問題全体の5パーセント程度でしかありません。もっと大きな問題があることを知ってほしい。スタートアップの企業が大手を食うといったことも起き始めているように、テクノロジーが企業だけでなく産業そのものを消滅させるかもしれないのです。だが、それに向けて準備を整えている企業は、ここにおられる企業を含めて日本企業のわずか1パーセントであり、残りの99パーセントは気がついてさえいないのです」と述べた。

2.AIは日本の生産性を改善するか

ワファは想定される2つの“シナリオ”として、次の2つを挙げた。

「200年の歴史しかない米国が考える未来は、シナリオAが『スタートレック』のような社会、シナリオBが『マッドマックス』の世界です。・・・・・(略)。技術のリスクを理解することも重要です。リスクを知ったうえで、メリットの方がリスクを上回ることを認識して欲しいと思います。ロボットに依存し過ぎると失業より深刻な問題がありますが、一方で、日本は長い歴史をもっています。日本がかつてももっていた価値観に立ち返ってみてはどうでしょうか。日本は生産性だけではなく、国民全体がAIにより恩恵を受けること、たとえば教育や医療などにも取り組むのがよいのでしょう。さらに、たとえばこの国がもっていた悟りへと至るような世界観は、未来の仕事にも生かせると思うのです」

3.未来を生きる学び

ワファの答えは、「子どもが勉強したいことをさせるのが大切」と言う。「“常に勉強すること”を習慣づけることが重要なのです。日本でも、これから終身雇用はなくなり、一人ひとりのキャリアは5~10年で変わるものになるでしょう。その度ごとの学習を、一生続ける必要があります。・・・・・・(略)。15歳にもなれば、あっと驚くような仕事ができるようになっているかもしれません。そうした世界で生きるためには、学習することを楽しむ子どもに育てることが大切です。学びたいことをやらせるのが、いちばんなのです」

社会のブラックボックス化

25日夜、NHKスペシャルの「人工知能 天使か悪魔か 2017」を見た、この題材は2016年に続くものであり、昨年も見た記憶がある。昨年はAlphaGoが囲碁チャンピオンを破った直後でもあり、D.ハサビスへのインタビューやPFNとToyotaの取り組みも紹介され非常に興味深かった記憶がある。

今年は、将棋AIとプロ棋士の対戦を取り上げ、以下にAIが人間の考えが及ばない指し手を打ってくるかという面や、日本国内で業務にAIを取り入れる企業を紹介し、より社会に浸透しつつあるという内容であった。わかりやすく編集されており将棋ファン以外でも興味深く見ることができた。

・AI将棋(ポナンザ:日本)

・AIタクシー客予測システム(日本)

・AI株取り引きシステム(日本)

・AI再犯予測(アメリカ)

・AI人評価システム(日本)

何よりMCの羽生善治の取材記が、的確でよかった。個々の内容は記述しないが、要約すると、

今後、AIが社会で応用されるにあたり、その思考過程がブラックボックスであり、人間がそれを理解できないことは大きな問題になるであろう。また、社会に浸透するにつれ使いこなすことを求められることになると思われる。しかし、「仮想敵」のように捉えてしまうのは得策ではなく、AIのやり方に見習うことで人間も進歩でき、うまく活用すれば人間にとって大きな力になるはず。

というものであった。

分野は違えど、さすが天才は違うなあという思いである。

以前から思っていたが、なぜ人間はAIに理由を説明させたがるのか?自分の想定以上の成果が上がった場合に、自分の納得させるためなのか?、自分が将来同じ様な考えができるようにしたいからなのか?

後者のように自分を高めるモチベーションとするのは非常に良いと思われる。実際、将棋界もその方向でAIを利用して新たな打ち手を考えるような方向に向かっていると聞く。

いずれにしても、以前のブログにも書いたが、たとえAIが自らの判断根拠を自らの言葉で話せる様になったとしても、それを人間が理解するのは不可能なのではないかと考える。(当然、AIのアルゴリズムは人間が理解できるが、そのアルゴリズムが大量のデータをどのように解釈したかというのを理解するのは到底困難である。)

ブラックボックスは不安だという声もあるが、AIに限らず、この社会はすでに多くがブラックボックスなのである。それでも多くの人間は疑問をいだかずに信用して問題なく生活している。例えば、今話題のフェイクニュースなどがいい例である、ネットにある、もっともらしく見えるものは信用し、その入手経路や信頼性などは考えない。これをブラックボックスと言わずして何をそういうのか?という思いがある。

恐らくAIが判断したといわずに、誰かカリスマ性がある人間がAIの出力を言葉で自分の考えとして伝えたならば、その判断基準が「勘や経験」と言ってもそれ以上誰も追求しないであろう。

AIはその高性能の処理能力と大量データを「学習」という「経験」を積むことで、どんなベテランよりも精度が高い「勘」を身につけたという説明であれば理解できるのであろうか?